蔵のある家 

about

「蔵」。それは単なる「倉庫」ではありません。

その家の先祖が大事にしてきたものが、静かな暗がりの中で眠る場所。
分厚い土壁で覆われたその中は、真夏でもはっきりわかるほど涼しい別の世界。暗くて音のないシンとした空間は、悪いことをすると父に入れられる、子どもにはものすごく怖い場所でした。もちろんその頃は、ここに何が一体入っているのかなど、少しも気にしなかったのだけれど。

何十年も経ってから、久しぶりに蔵に足を踏み入れると、そこははっきりとした「日用品ではないものの保管庫」でした。

母がお嫁入りの時に持ってきたという立派な桐の箪笥、昭和レトロ、いやもっと古い、多分、大正・明治時代のものじゃないのかと思うような欅のどっしりした帳場箪笥や水屋箪笥などが、名前の書かれた木箱に入った染付のお皿や漆のお膳たちと一緒に、薄っすらと埃をかぶって収まっていました。

わたしを含め骨董好きな人たちにはたまらないであろう、昔の工人たちの古き良きものが、祖父や曾祖父の時代よりもっと前にこの場所にあった「一松堂(いっしょうどう)」という商家の名残りと共に、そこに静かに眠っていたのでした。

30年ほど前に建て替わってしまう前の古い家は、かつての伊賀街道に面した油問屋だったようで、太平洋戦争の空襲をまぬがれ、ずっと昔のままの姿で残っていました。

子供心に覚えているその家には、瀟洒な格子窓の横の玄関を開けるとその先にひんやりして長い土間があり、いつも藍色の家紋が入った木綿の長いのれんが掛けられていました。その左手はおそらく昔の店として使っていた部屋でもう扉は閉じられており、反対の右手から中に上がると、手前が客間、そして奥が左右を座敷に挟まれた細長い仏間でした。

そこは、いくつもの草花の絵が天井の正方形の格子の中にはめ込まれた一風変わった部屋で、格天井(ごうてんじょう)と呼ばれる造りだったようです。正方形の絵が並んだ天井は、屋根裏の小窓を開けると光が入って明るく見えるという仕掛けのあるものでした。

仏間の左手の座敷を過ぎると苔むした中庭が広がっており、そこにはツツジや椿の木に混じって大きな松の木が1本立っていました。「一松堂」とこの家が呼ばれていたのはそのためです。

縁側のある座敷には、何人かの先祖のモノクロの写真が一列に飾られていて、中に白くてとても長い髭を蓄えた人物・・・曾祖母の父、高祖父がいました。

当時としてはかなり風流で、お茶を嗜み、教養豊かで目の肥えた人だったらしく、茶道の趣のある中庭を造り、細部にこだわりのあるこの家を建て、蔵に残されているものを各地から集めてきたのは、この高祖父なのでした。

蔵の棚の一番上の方にしまわれている、いくつもの古びた大きな革のトランクケース。高祖父はその昔、きっとそれらを持って、茶道具や陶磁器探しの旅に出ては気に入ったものを一つずつ持ち帰り、蔵の奥の棚へ並べ眺めていたのでしょう。

今はもうその頃の家は無く、松の木もありません。ぽつりと時間を止めたまま、残されているのは蔵だけ。

蔵。

白壁に囲まれた、暗い静かな空間の中に眠っているのは、長い時間を経てもなお変わらず残る命を宿した「もの」達で、その声が聞こえる人を、ずっと待ち続けているに違いありません。



一松堂(ISSHOUDO)